2017年8月10日木曜日

魚のさばきかた

魚のあら汁を作るときなど、頭を包丁で割るのがむずかしいです。出刃包丁も持っていないし。

 そこで私は、キッチン鋏を使って切るのですが、そのときの切り方をこんなふうにしています。

魚の頭の真ん中をさけ、図のように少し横に鋏を入れるのです。そうすると、真ん中にあるごつくて固い骨を切らずにすむらしく、わりあい楽ちんなのでした。それでも、鋏で切るのには力がいるので、ちょっと切っては休み休みですけどね。

板前さんみたいにかっこよく、包丁でバンと一発あてて切る姿には憧れますが、技術と包丁がいりそうなので、もっぱら鋏チョキチョキ。横着してまーす♪(記:2012年12月27日)

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2017年7月31日月曜日

おかいこ様

これは2013年10月7日に書いたものです。
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 虫といえば、子供の頃、『科学』という子供向けの月刊雑誌に、繭玉というものが付録でついてきたことがあった。3、4㎝くらいの長さで、白いカプセル状のしろものである。
雑誌には、この繭玉を湯の中に入れ、お箸で生糸を取り出してみようと書いてあった。



 当時の私は、そもそも繭玉すら見たことがないのだから、もうわくわくして説明文を読み、さっそく鍋にお湯をわかした。そこに繭玉を入れ、はしでかき混ぜていると生糸の先端が箸にからまり、箸を回すと糸がするすると巻きついてくるというのだ。

 ところが、いつまで箸でころがしてもいっこうに糸の先端なんかあらわれない。だいたい「付録」などというもんはたいがいちゃんとしていなくて、ときとしてこんなことがあるんだよなあと、なかばやけくそになってガラガラかき混ぜていると、洗濯かなにかをしていた母が横からのぞき、

「どら、おらに貸してみらい」(どれ、私に貸してごらん)
といって箸をとりあげ、あっという間に糸口を見つけ糸を巻き始めたのだった。
「かあちゃん、すごい!!」。
すると母は、
「あだりみゃあだべー。おらいっそ片倉で糸取りばりやったんだもの。」(あったり前でしょ。あたしゃ、いつも片倉製糸工場で糸とりの仕事ばっかりやってたんだもの)とのたまう。

 母は娘時代、岩手県陸前高田市の片倉製糸工場の女工として働き、毎日湯気のたった大釜にいっぱいの繭玉から糸を取るのが仕事だったそうな。
なるほど、あちらはその道のプロだったわけだ。糸取りがうまいのは道理である。
そんな母にしてみれば、たった数個ばかりの繭が入ったお鍋から、プロの技で糸を水飴のように巻き付けていくなど朝飯前にちがいない。
糸を取り終えたあとには、糸の服を脱がされた丸裸のサナギが数匹残っているのみ。これぞ匠の技というべきか。

 ところがである。次の瞬間、恐ろしいことがおこった。
母は、糸がなくなったそのサナギをつまみ上げ、あろうことか、ぱくりと口に放り込み、むしゃむしゃ食べ始めたのだ

ぎょえーーーーーーっ、かあちゃんてば、発狂してしまったか?
口裂け女とかいう化け物がいるとしたら、まさにこれだ。口のはしに、カイコのしわしわした皮が押し込まれていくのが見える。母は化け物に変身してしまったのだ。もうただただ恐怖。
その化け物は、最後の一匹を飲み込んでこういった。

「なんとまだこのサナギは、ほすけでしまったふで、さっぱり油っこなぐなってしまってるが。サナギのうんみゃー味っこしにゃあ」。
(「なんとまあこのサナギときたら、ひからびてしまったようで、さっぱり油っけがなくなってしまっとるわ。サナギの美味しい味がしないよ」。)

つまり、付録のサナギが新鮮とれたてで届いていれば、母にも満足のいく味であったろうが、我が家に届く頃には干からびたミイラ味と化していたというわけである。
生き物を食べるということは、鮮度が命ということか。

 ときに、母が申すには、製糸工場の女工だった当時、カイコは貴重なタンパク質源で、毎日数粒づつ配給になったそうな。食べる物の乏しいその頃、配給や食事だけでは足りず、仕事中に隠れてこっそりカイコのつまみ食いをするのがとても楽しみであったという。
 てなわけで、カイコを見ると、あの恐怖の化け物かあさんの姿を思い出す。
もっとも、母は怒ると裸足で家の外まででも追いかけてくるから、山姥でもあるにちがいない。
三枚じゃ足りん、お札は何百枚も欲しいのう。くわばらくわばら。〈おしまい〉

【写真と図について】
写真の繭は、2013年の3月に近所の山でひろったものです。野生の繭というものでしょうか。

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2017年7月30日日曜日

リハビリの効用

2016年のこと。
入院している実家の母におつき合いして、病院のリハビリ室に行ったんである。ぼーっとながめているのも退屈だから一緒にまねしてみた。
500グラムの重りをつけた用具を両手に持ち、膝の上から肘をまげずに上げ下げするとか、たとえばそんなメニュー。母のゆっくりリズムで10回×3セット程度ほど。途中でもゆっくり休むから、運動時間は正味15分くらいか。各種のメニューが全部終わるまで40分ほど。これが午前と午後の2回。とまあわりに簡単なメニューのようです。




それでも母は、病室にもどってくると疲れたといい、腕が筋肉痛になるんだとか。入院生活も1ヶ月あまりになる。持病の腰痛に加え、手足の筋肉も弱ってきてるからこたえるのだと思う。

さてその翌朝。布団からおきあがったとき、私の腕と足のももの裏あたりが重く、みょうにだるい。
げっ、これはまさしく筋肉痛。弱ってるのは、私もかい。
日頃の運動不足と、お年頃ってやつですかね。
あれくらいのリハビリじゃあ、さしたる運動量でもなかろうと思ったのだが、これは現状の筋肉の実験結果である。しんしに受け止めねばなるまい。うむ、これからは、リハビリ室に親子でご厄介にならねばと思ったしだいである。

ところで、リハビリ中にバックミュージックを流すのだそうで、リクエストした曲をYouTubeで検索してかけてくれるという段取りになっていた。
理学療法士の方が母に「今日はどんな曲がいいですか?」とたずねる。
私の予想では、菅原洋一の『今日でお別れ』、東京ロマンチカ『小樽のひとよ』、水原弘『君こそわが命』あたりですなと思っていたのだが。

母いわく「ビリーバンバンの『白いブランコ』をお願いします。」
しかも「あれは倍賞千恵子も歌うけど、やっぱりビリーバンバンのがいいですね」だと。
へえ、こんなわりあい新しい曲を好んでいたとは。しかも、歌手にも詳しいではないか。
一人暮らしが長い母。ラジオをよく聞いているといっていたのだが、かような音楽のご趣味がおありだとは知りませなんだ。

私、EXILEとか苦手だし、といって今時分の音楽を聴かんもんなあ。これじゃ新しい世界がひらけませんわな。
さて、もしも私なら、リクエスト、なににするだろう?

あ、そういえば以前、私が鼻の手術をするときにも看護師さんにリクエストOKといわれたので、「上方落語の『初天神』」を所望したら、さすがに手元が狂うからと却下されましたっけ。TPOは、わきまえなくっちゃだわ。(記:2016年7月16日)

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2017年7月26日水曜日

茶碗の底のおたのしみ


 ご飯茶碗を割ってしまったので買いに行きました。売り場でどれがいいかしらんと迷っていると、一緒に買い物につきあっていた相方のユクト君が「これなんかどう?」と選んでくれたのが、茶碗の胴体にナスやトマトの絵がついているというもの。


野菜栽培が好きな私にぴったり。ほんわかした絵柄でようございますなあと思っていると、ユクト君、「横だけじゃなくて、お茶碗の底にも絵があるでしょ。これがあったらご飯を食べ終わるのがたのしみになるんじゃないかなあ」ですってさ。
ソコまでは気がつきませんでした。見れば、茶碗の底にはほんにトウガラシが1個横たわっておられました。
 そういえば、売り場のこ子ども用茶碗の底にも、さまざまなキャラクターがついてるのが目につきます。お子たちのご飯がすすまなくて弱ったとき、「あと一口食べたら、アンパンマンがでてくるよ~」…てなオトナの配慮にもお役に立つというわけか。
するとユクト君、「あ、底に絵があるとたのしいのは、子どもだけでじゃなく、年配の人だってうれしいかも。」
はいはい、たしかに私、年々食べる量がへってきております。もしも、茶碗の底に見目麗しい殿方のブロマイドなんぞが貼られてましたならば、おめもじしたさでご飯をかきこむやもしれませんわな。
ちなみに、「ユクト君なら、どんな絵柄が茶碗の底にあってほしい?」とたずねますと、

「アンジェリーナ・ジョリー! できればカラーで」と、即答。さすが、オジサマ。

さらに重ねて曰く「できれば、女優さんは日替わりだったらもっとうれしいです。」(記:2015年2月5日)

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2017年7月23日日曜日

泣く子と地頭には勝てぬ

2013年9月13日に書いたもの。まだゲーム機がゲームボーイだったりファミコンだったりで、今のように普及してない頃の実話です。

【その1:ゲームセット】


 休日、混み合った新幹線に乗ったときのこと。自由席は満員で通路に立つしかない。
こういうこともあろうかと持ってきたゲーム機を取り出してピコピコとゲームにいそしむ。

すると,となりにいた小学生のこどもが、
「ボクもゲームやりたい-、やりたいー!」といってぐずり始めた。

こんなとき、どうずればいいんだろう。
坊やがかわいそうだし,この騒ぎにつきあわされる他のお客さんにもご迷惑だから、ゲーム機をしまうのが妥当なところだろうか。
それとも、やさしく「よかったら、どうぞこれで遊んでね」とゲーム機を貸してあげるのか。

 だが、おいらの塩からーいノーミソは、こう叫ぶのだ。
(そんな泣き落としなんかにくじけるもんか。やめないぞ。絶対やめないぞ。だって、こういう混雑と退屈になりそうな状況を考えてわざわざ家からゲーム機を運んできたんだもん。やめない。絶対に遊び続けてやる!)

こどもの声「あーん、ボクもやりたい!」
お母さん「だめよ。よその人のものなんだから」
こども「だって、やりたいんだもん」…延々と続くやりたい攻撃。

あ~あ、根負け。ゲーム機をしまってふてくされ、ガキをにらみつける、ガキみたいなおいら。

【その2:ゲーム屋さん】

ゲーム屋さんで前から欲しかったソフトを手にし、レジでお金を払おうとしたそのときだった。
すぐ脇でウインドーをながめていたらしいこどもが、おいらにこういったのだ。

「あのね、そんな高いゲーム買っちゃいけないんだよ!」
おいら、しばし絶句。

なんとか切り返そうと返答を考える。
(あのな、これはな、おいらの甲斐性で買うんだぜ。「かいしょう」といってもわからんか。稼いだ金で買うってことよ。それがオトナの醍醐味ってもんよ。えっ? 「だいごみ」も知らん? それがわかるようになるのがオトナじゃ。あんたも、はようオトナになりーや。)
…てなことを思いついたが、さすがに口には出さないでおく。

 そのあとおいらは、買ったばかりのゲームソフトをこれ見よがしにこどもの目の前でちらつかせ、勝利のVサインをして立ち去る…はずだった。

 だが実際は、新品ピカピカのゲームソフトを大急ぎでカバンにしまい込み、子どものやけるような熱視線から目をそらしつつ、そそくさと店をでたのだった。

 さてそれからは、ゲームソフトを買うときや車内でゲームをするときには、あたりに子どもがいないかどうか確かめるようになったのである。
オトナになったなあ、おいら。

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2017年7月22日土曜日

イヤホンの悩み

1.ラジオのイヤホン 

私は夜、床にはいって眠りにつく前のひととき、あるいは夜中に目覚めて眠れぬときなど、子守歌がわりにラジオを聞いて過ごす。  だが数年前まで、そのラジオを聞くのがたやすくはなかった。放送がうまくはいらんのである。なんでも、私の住んでいるこのあたりの電波事情の関係で、あまたあるラジオ局のうち良好に聞けるのは1局のみ。あと1局も雑音が入らないようにして聞くにはちょいとコツがいる。
まず、イヤホンを差し込んだラジオを手で持ち、空中でラジオを動かしながら聞こえる場所を探るのだ。

もしうまくはいったら、今度はその地点を逃さぬようピンと張ったイヤホンコードの張りを保ちつつラジオを持ち上げ続けるのである。さすればその間だけは心地よくラジオにありつけるという段取り。



さて、これが寝る前の覚醒しているときであればこそ、しっかりとした手つきでイヤホンコードも操れるのだが、夜中に目覚めてしまったときのラジオとなると、ちとやっかい。暗い中、もうろうとしたノーミソ状態でイヤホンのありかをまさぐり、聴取可能な地点を探して夢遊病者のごとくさまようことになる。 となると、ラジオは寝るための穏やかな気持ちを誘うどころか、ラジオを聞こうとすればするほど目が冴え渡り澄み渡るわけで、なんともはや。

2.タブレット時代 

その後、タブレットなるものを入手。これがまことに快適至極なお道具。無線LANのおかげでコード不要。しかも日本国内のみならず海外の放送局までも選べる優れもの。モンゴル語の歌で眠りにつけたりもするんである。

 とはいえ、ちょいと問題が。横向きに寝るとイヤホンの突起が枕に押され、耳の穴にあたってどうにも痛い。そこで、枕を少々くぼませ、そのくぼ地に耳を入れてみたら、あーら、だいぶと楽ちん。蕎麦殻枕ならではの解決策でありましょう。  


 
おっと、もう一つ悩ましきは、イヤホンコードですな。これが寝てる間に髪に絡まるやら、首をしめるやら。ときにはイヤホンの突起が耳からはずれ、ピップエレキバンのごとく首筋や背中や頭にぐりぐりぐり。指圧跡までくっきりと残す始末。

また、突起に取り替えカバーがついているタイプを使用していたときなど、どうも今日は聞こえが悪いと思ったら、はずれたカバーを耳に入れたまま外出してしまったこともありましたわい。 



 
 それにしても、ラジオが聞けるというのはありがたい。ラジオもエアコンも網戸もなかった頃。

夏の夜の暑さにたまらず布団から這い出し、窓から顔だけ出して寝ておりました。蚊取り線香にいぶされて咳き込み、朝日が顔面を直撃してましたもの。(記:2014年8月29日)






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2017年7月20日木曜日

初めて見るもの 食べるもの



実家の母へうちのベランダでとれたナスをお土産に持っていったときのこと。しま模様のナスのカプリスと、ぽってりした薄紫のナスのロッサビアンコを取り出してみせるやいなや、「なんときれいだこと。こんなの、見たことない!」と感嘆。だが、

母「これなんなの?」
私「ナスだよ。イタリアの在来種だって。」
母「いいや、ナスでないっ。ナスは茄子紺といって紺色なんだもの。こんなのはナスではない。」ときっぱり申して、ちっとも引かぬ。
あげく、「こんな色は毒々しい」とか、「つやつやしてるのが変だ」とかのたまふ。私が「焼きナスにして食べたら、とろっとして美味しいよ」と進言しても、「いいから、いいから」と押しもどし、頑として受け入れんのだ。

しかし、これほど反論しておきながら母はなぜか、しましまカプリス2個を手に持ち、曲がった腰でトコトコと仏壇に運んで行ってしまった。そういえば、なんでも仏壇にあげる家である。通知表、写生した絵、免許証などなど。いつぞや、私が発泡スチロールで作った水の分子模型でさえも、土産の青梅煎餅と一緒に並べてましたからなあ。無神論の象徴みたいな分子模型と仏壇との妙な取り合わせに、ぶふふと吹き出したことを思い出す。

それにしても、なにゆえカプリスだけ仏壇で、ロッサビアンコはテーブルの上においたままなのか。この選択っぷりが謎である。

 食事どきになり、私が台所で味噌汁を作っていると母が、「ここのナスも入れたらどう」といって、あの置き去りにされたロッサビアンコを指さしている。

なんたるもったいない仕打ち! 私は、内心怒り爆発。こともあろうに、そのへんに売っておらん貴重なイタリアンナスのロッサビアンコ様を、味噌汁のようなごった煮に投入するなどもってのほかじゃ。このナス様は、ナス様オンリーで、だいじに優しくなでるようにステーキにしていただくような高貴なお方であるぞ。と、申し述べたい気持ちをぐっとしまい込み、小さく切ってニンジンやらジャガイモやらと一緒くたにして汁椀に盛りつけてやった。ともかくも食べてもらわねば。食べれば、なあんだと思ってもらえるのだ、といいきかせて。

こうなるともはや、ロッサビアンコの汚名を晴らすといいますか、イタリアンナスの普及大使、あるいは新商品のプレゼン屋さんですな、あたしゃ。
母がお椀のナスに箸をつけるのを、横目でちらちら確かめるわたくし。
母「あら~、柔らかいんだねえ、このナス。とけてしまいそうだよ。これならもっと後から入れてもよかったねえ」ですと。はいはい、なんとか無事第一関門突破。

 そうなんだ。新しいものを受け入れるというのは容易ではないのだ。だって、一番最初にナマコやゴーヤを食べた人はすごいと思うもの。
まてよ。ちょいと予想がつきましたぞ。ロッサビアンコは母にとって、ナスとしてまだ認められる範囲だから食べてみてもいいと思ったにそういない。しかし、しましまのカプリスはどうにも納得がいかんから、とりあえず仏壇において食べるかどうかを棚上げにしているのにちがいない。第二関門は、カプリスなのだ。

 そして母は、仏壇の前を通るたびに立ち止まり、あやしげ色のカプリスを見上げ、「しかし、不思議なものがあるもんだ」とか、「もう少し眺めたいから、ここにおいとく」とかぶつぶつ言うのである。
おーい、かあさん、早いこと食べとくれ。腐っちまいますがな、もう。 (記:2015年9月16日)

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