2022年2月4日金曜日

石の話

 【第1話】

あれはいつだったかだいぶ前のことである。ちまたで「究極の選択」という遊びがはやっていたことがあった。「カレー味のウンコと、ウンコ味のカレーとどっちを選ぶ?」といっては、友人たちとワイワイしたものである。

その日は、仮説実験授業研究会(たのしい科学の授業をしている人々の会/学校の先生方が多いが、誰でも参加できる)の全国大会に行ったときだった。そこは講座ばかりでなく、本やおもちゃ、実験道具などさまざまな物品を売る店が並ぶホールがあり、私も「ケロちゃん」という小さな紙人形と本を並べ、売り子をしつつ、参加者の友人たちと例のカレー談義に花を咲かせていたのである。

そこへ、Y先生が立ち寄られ「たのしそうだねえ、なんの話をしているの?」と声をかけてくださった。Y先生といえば、たのしい科学の実験をたくさん紹介してくださり、かつ、美男子さんで見目麗しくすこぶるに穏やか、上品紳士先生でいらっしゃる。まさか、かようなビロウ話をしては失礼かとためらわれるのだが、そういえば先生は〈食べ物とうんこ〉という授業プランを作っておられるのだから、そうまずいことではないかもしれないと、思い切って話の中身をお伝えしてみた。すると、

Y先生いわく「ウンコ? あー、固形物のほうのね」とおっしゃる。さすが理科の先生。分類の仕方が科学である。さらに、

「そうだねえ、私が選ぶとしたら、〈カレー味のウンコ〉かな」とまでおっしゃったので、思わず「えっ、先生、元はウンコですよ、ウンコ。カレーじゃなくて〈ウンコ〉でいいんですか?」と申し上げると、「だって、カレー味なんでしょう」と。そ、そうだけど。

もう、そこからはY先生もご一緒にみなでカレーだ、ウンコだとワイワイ談義に突入していったのでありました。

Y先生って、すごい。なんかすごい。

【第2話】

その翌日だったろうか。再び店番をしていると、Y先生がにこにこしながらやってこられ、ポケットから何かを取り出してポンと目の前に置き、こうおっしゃった。

「これ、ウンコの化石。ウンコ石です。さっき、近くの川原へ行った時に拾ったんです」と。

ほんとだ、ウンコ色だし、形だし。「ゲッ、先生、これ、本物?」(Y先生、にやにや。)

手に取って見てくださいと手渡されてしまったので、しかたなく持ってみましたけども、いいのか素手でさわって?

感触は固い。そして重い。石ではあるようだ、が、ウンコにしか見えん。今、私、ウンコ持ってる。ゲッ!

思わず手から離して下におこうにも、ここは店先、しかも売り物の本が置いてある。あ、でもY先生が一番最初、目の前に置いたのはこの本の上だった…

そして「これどうぞ、差し上げます」とおっしゃると、Y先生は風のように爽やかな笑顔で去っていかれました。

さて、私の手のひらには、ウンコ石。これを、どこに置いたもんだか。まさかまた本の上に置くわけにはいかんだろう、本、売れないよなあ。いや、案外話題になり、かえって売れたりして? でも本の上にじかにおくのはちょっとなんだし。
とりあえず、取り出したハンカチの上にのせ、飾ってたみる。あら、なんか、可愛いかも。花柄のハンカチに鎮座するウンコ石。

その後、立ち寄ってくださったお客さまに「これ、Y先生が拾ったウンコ石です」と紹介し、「でねっ、Y先生はどっちを選んだと思います?」てなことで、引き続き究極の選択談義はいっそう盛り上がったことでありました。

【第3話】

後日のこと。同じ研究会系列のサークル(西多摩仮説実験授業をうけてたのしむ会/道楽科学会主催)に参加したときでありました。
まだ会が始まる前、早めにいらっしゃったTさんにこの石をお見せしたら、Tさん、やおら会場のお部屋のドアのところへ行き、床にティッシュペーパーを広げ、くだんのウンコ石を置いたのです。つまり、あとから来人人がドアを開くと、そこにウンコ石がティッシュとともにころがっているという図ですな。

なんちゅう遊びを考えますかねえ。かりにもTさんは小学校の先生でいらっしゃるのですぞ。T先生、たのしすぎますって。ドアを開けた方々は、そりゃあもう、ワーとか、キャーとか、いぶかしげに遠目から眺める人とか。まあなんとも和やかな会の始まりとなったのでありました。

こうしてティッシュ付きウンコ石を眺めたあとは、〈もしも原子が見えたなら〉という、原子分子の世界をたのしむ授業を受けるという崇高な科学のかほり高い時間。なんともはや。


 ところで、ウンコも石になるんだろうか。水分が蒸発すればウンコだって石になるのかも。ほんとかあ? ぜったい、ちがうような気がするんだけど、私。

石の形がウンコににてるだけ、ですよねえ、これ。

そうは考えたものの、目の前のどうみても本物のウンコにみえる石に、やっぱりにやりとしてしまう。石ってなにやらおもしろそう。


最近になって、Twitterで古生物学者さんの紹介する「ウンコ石」を見ることがありました。ウンコ石は「糞化石」とよばれていて、中には細かくなった肉食動物の骨がいっぱい入っているというものです。ウンコから生物の営みのいろんなことがわかる貴重な資料なんだと知ったしだい。
(あれ?私、いつの間にか石のこと調べたりしてるがな。)

Y先生もT先生もそんな能書きはおっしゃらなかったけど、あの一件はウンコに親しみつつたのしく科学する入り口だったんだなあと思うのでありました。(おしまい)


【お借りした写真資料】

いただいたウンコ石はその後、わがやの本棚にティッシュペーパーを台座にして飾ってあったのですが、引っ越しのバタバタで紛失。返す返すももったいなき思い。
しかたがないので、とりあえずネットで拝見した画像を添付いたします。「恐竜の糞化石」だそうです。

産業技術総合研究所 地質調査総合センター 地質標本データベースより



2021年6月29日火曜日

炭酸の飲み物作り今昔

【そのむかしの炭酸飲み物】

小学生頃の夏だったと思う。父がクエン酸を一瓶買ってきてくれた。というのも、当時定期的に届けてもらっていた雑紙『科学』(学研刊)に、飲み物の作り方が付録つきで載っていて、私はそれがとてもとても美味しいのだと報告していたのだ。

その飲み物の作り方はこうだ。クエン酸と炭酸ナトリウム、それに砂糖をまぜて水を入れればシュワシュワあぶくの美味しい飲み物ができるというわけ。


だが、付録はそのクエン酸と炭酸ナトリウムが小さな袋に入ってるだけ。数回であっというまになくなってしまうんである。

もっともっと作ってみたいのだが、炭酸ナトリウムはあるのに、クエン酸というものがない。炭酸ナトリウムは家にあるのになあ。あ、炭酸ナトリウムは台所の常備品だった。強烈にすっぱい当時の夏ミカンに振りかけていくぶんすっぱさを和らげ(たような気がし)て無理矢理食べるときの必需品であり、またホットケーキもどき(地元では“なべやき”と呼んでる)を作るときのふくらし粉として活躍する馴染みの品である。

さて欲しいのは、クエン酸。お店で売ってるのを見たこともない。いったいどんなものなんだろう?クエン酸に恋して悶々とする日々。

その窮状を察してか、父からのクエン酸一瓶ドーンのプレゼントだったのである。しかも、父はさらに私専用の炭酸ナトリウムの500グラム入りデカ箱まで添えた大盤振る舞い。ちゃぶ台の上に瓶がドーン、箱がドーン。そりゃあもう大喜びですよあたしゃ。



一方、父にはこれを子どもに買い与えておけば…というオトナの事情もあったろうと今は思う。

当時、われら子どもがだいすきな飲み物といえば「渡辺のジュースの素」で作るジュースだ。コップに袋からスプーンで粉末をすくってコップに入れる。そこへ水を注ぐと、あ~らオレンジ色に変身。ホワホワと香りまでもただよってくるというあま~い魅惑のお飲み物。

だが、これはあっというまに消費してなくなる。なにせ粉末が少量だと味が薄いからたっぷり入れ、たっぷり入れればすぐになくなるというお財布にきびしい親泣かせの高級おやつ。親御さんとしては、なんともはや切ない窮状であったろう。

と、そこへ、くだんの炭酸飲み物作りの話が舞い込んできたわけさ。初期投資の一瓶と一箱を買い与えておけば、たいそう長くご機嫌でしかもおやつ代が助かるという秘策。

ええ、みごとその甘い秘策に踊らされましたとも。

日々、瓶をかかえ、箱をかかえ、「どうやったら、一番おいしい炭酸の飲み物ができるか」の研究に没頭したのです。クエン酸も重曹も、多すぎても少なすぎても苦味がましたり、薄味だったりして「これだ!」という味に達しないのです。そこが難しい。

何度も何度もくり返していくうち、ふと、どうもどうやら、どうさじ加減しても「これはこの薄甘いシュワシュワぢからの弱い味にしかならないのではないか」という疑問が生じてくるのである。


おりしも、ちまたでは「三矢サイダー」とか「ファンタ」といった炭酸のよ~く効いた新しい飲み物が出回るようになり、うちでも買って飲む習慣がスタート。

「こんなにキューッと喉にくるのが本物の炭酸水というものか」「なんだ、私にはけっして作れないものなんだ」と落胆し悟り、研究意欲は泡と消えていった。

【ちかごろの炭酸飲み物】

時は流れ、再び炭酸の飲み物作りをする日がやってきた。といっても、私ではなく、相方のユクトさんが。

ユクトさんはこのところ、トロンボーンの練習に余念が無い。消音装置をつけつつ練習部屋にこもってプーハープーハーやっている。


だが、終わってのち部屋からでてきたときの姿たるや。機織り部屋から出てきた『夕鶴』のおつうもかくやの、消耗甚だしい抜け殻姿。


目はうつろ、ほおはこけ、「は~、は~」とかすれた息からするに酸欠状態であろう。なにぶん新米トロンボマンだしお年頃でもあるから、練習はたのしくともお身体には堪えているにちがいない。

こんなとき、すばやく元気を補給するものといえば、リポビタンDか、ドラッグか。どちらも効果のほどはしらんけど。

そこで、ユクトさんが考えたのは、砂糖とクエン酸と炭酸水のお飲み物。

本人曰く「無糖の炭酸水は美味しいけど、疲れたときには甘みがない分元気がでない気がする。かといって、市販の糖分入り炭酸はお高いし甘過ぎだし。それなら自分で砂糖入り炭酸水を作ったらどうだろう」。

作り方はいたって簡単。材料をスケールにのせて調合。ペットボトルに入れ、冷蔵庫でよ~く冷やすだけ。


  お味はというと、なんか微妙。CCレモンほどおいしくはないが、それなりの甘ずっぱいシュワシュワ水の味がする。冷やして飲んだらそれなりにイケるかも、ってあたりか。

まあなんつったってお安い。クエン酸は一瓶1000円程度、2リットル炭酸水=98円、あと砂糖だし。コップ一杯せいぜい…円ほどですもん。

さてさて、トロンボーンの練習を終えた相方は、冷蔵庫に直行。作り置きしたくだんのクエン酸+砂糖+炭酸水のボトルを取り出し、ごくごく飲み、「あ゛~~~」と一声、感嘆の意を漏らして放心顔。


「それって効くの?」と聞いてみたところ、「うーーーん。(しばしの間)でも、けっこうおいしいよ」と。 まあ、なんであれ、なにかしら飲まずにはおれんのでしょうな。

ともあれ、なんちゃってお元気ドリンクなと飲んで、どうぞ末永くおたのしみごとをお続けなされまし。

あ、それからドリンクはゆっくりお飲みくだされ。誤嚥性ナントヤラで息と人生が止まるかもですから。

【おまけ】

炭酸水って、「二酸化炭素と水」でできているのだと、後年『もしも原子が見えたなら』という授業(科学をたのしむ「仮説実験授業」の一つ)を受けて知る。原子・分子の世界を想像すると、ゲップもなにやらいとおしいかも。


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2021年2月13日土曜日

繕いもの今昔

縫いました、コースター。

いや、そうではなくてですね。

うちではいてるズボンの膝に穴があいたもんだから、その穴補修用にこしらえたのであります。


布はたまたま、生地を丸く切って使わぬまま残っていたのを使用。丈夫にすべく裏に接着芯を貼り、円周部分が落ち着くようミシンの刺繍モードで補強をしたというわけでして。


無事膝当てできあがり。なんかうれしい。

当てた布が小さくて痛んだところが覆い切れないかもだけど、ま、いいやね。残り物の生地使えたし。ズボンをボツにするときはコースターにすればいいんだし。
これはいてゴミだしOK、コンビニも行けるかも?(膝当ての有無より、このジャージズボンが問題ではあるが。)

それにしても、今頃のミシンて家庭用の直線縫い中心の機種でも、こんなちょっとした刺繍なんて芸当もできるんですなあと感心。


じつはこのミシン、先日買い換えたばかりで、初ソーイングがこの繕い物でした。刺繍なんてめんどくさそうだから興味ないやと思ってたけど、ボタンをピッでたやすく可愛くできてしまうとは。いやん、刺繍病にかかっちゃったかもだわ。

ときに遠い昔。ズボンの膝に穴があくと母が繕ってくれたことがありましたっけ。当時の写真がこちら。小1くらい?

膝には雪だるまらしき絵柄のパッチワークなんだが、白い生地がなかったのかピンク色。ついでに後ろにもピンクが。よく滑り台ごっこするからね、わたし。
とはいえ、茶色のズボンの尻にピンクの当て布ってどうなんすかね。母は「めんこいべ~(可愛いでしょ)」とたいそう悦に入ってる風だったが、わが身は穏やかならず。どうみてもサルじゃん。ま、サルのごとくふっとんですべって遊んでましたけどさ。
友だちと一緒のたのしい写真撮影でさえも、ついつい尻方面を手で隠してしまうわけですよ。

そんなある日、母と一緒に隣町へおでかけすることになった。母は外出着に着替えていたので、私も着替えようと思ったのだが迷った末、いつものお猿ズボンのまま出発。
出先で、はたとその姿に気がついた母に「なんで着替えなかったの?」と詰め寄られてもこたえられなかった。
だって、せっかく縫ってもらったお猿ズボンを脱ぐのは申しわけない気がしたんだもの。お猿ズボンだってお出かけしたいかもじゃん。お猿ズボンが哀れである。
うむ、そんな「ちびともこ」時代の切ない気持ちを思い出しますなあ。

それにくらべてあーた、今頃のミシン生活はいいもんですのお。ささっと刺繍つきで繕いものが可愛くできちゃうんだもの。あ、でもお子さまには、こんな細かい刺繍ものより、乗り物とかキャラクターのワッペンのほうがうれしいかもしれんです。

たとえばこれ。ミシンなしで、買って縫い付けただけの上着。アイスの汁をこぼした痕跡インペイが高じてワッペン貼りまくり。1個だけ貼ったんじゃいかにもこぼした感がありありだったもんでね。おかげさまで、お子さま方に「かわいいっ!」ってなでてもらえる服になりました。

ただし、材料費は服より高価。お財布は北風ピープーでござんした。

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2020年10月13日火曜日

雨もりを測定する

 台風が近づいてずっと雨が続いたときのこと。お陰様で、もれなく雨もりしました。「車」がね。

この日、朝出かけようと車のドアを開けたら、助手席椅子の座布団がびしょ濡れ。窓はしまっているのに。見れば、天井近く、室内ミラーの付け根あたりからしずくがポタリポタリ。天井の裏部分が少したわんで、そこに水が溜まり下に落ちているらしい。たわんだところに指を突っ込むとピチャッと冷たい水たまりにあうのだ。

ディーラーさんに連絡し、翌日納車して修理してもらうことになったが、さてどうしましょ。雨がもったまま放置ってわけにはいかんわなあ。

はい、雨もりといえば「バケツと雑巾」が相場でしょう。よくよく存じておりますよ経験者ですから。エッヘン

たわみの漏れ地点にタオルを突っ込み、そのまま下へ垂らしてバケツで受ける方式にしてみました。この対策で午後3時~6時までの3時間後、バケツに3センチほどの水がたまってました。



さて、気になるのは寝ている夜中です。

夜もこのまま水を貯めたら朝まで(約13時間)にどれくらい水が溜まっているでしょうか。

【予想】

ア.1時間1センチだったか、13センチくらいだろう。

イ.バケツからあふれ、床が水浸しになる。

ウ.天井裏にたまり重さで崩落。床が水浸しになる。

私の予想は、もちろん「ア」ですとも。20年乗った車とはいえ、あと数年は持ちこたえてほしいと願っておるわけで。台風が激しくならんことをただただ祈るのみ。お願いバケツにおさまってくれ!

【結果】

だいたい12センチくらいだったでしょうか。ほ~、床が無事でなにより。


いや、無事ですまされんのが修理代。そもそも原因は見つけてもらえるのでしょうか? 「わからんけど漏れる」てなことになったら、珍しい「はてなの茶碗」になっちまうじゃないか。

あ、いや、かえってこのウイークポイントが売れるかもよお?

せっかくだから、「トヨタカローラスパシオ独自の雨量計付き」ってことで、たのしい実験ができる車として、お一つどうかしら?

てなことを妄想しつつ、さてお次の問題はお財布です。これがいっちゃん肝心ですわな。ワナワナしてきます。

おいくらの修理代がかかるんでありましょうや。

ディーラーさんのお見立てでは、原因は〈フロントガラスの周りのゴムパッキンみたいなところが痛んでいる〉そうで、ガラスを外して掃除したのち、元のガラスをそのまま再度張り直す作業になるんだそうな。専門のガラス屋さんが出張して修理に携わるらしい。

できれば、例の特別定額給付金の範囲内でおさまって欲しいもんである。

【予想】

ア.10万円以下の出費。

イ.10万円以上の出費。

ウ.その他。

ま、おそらく数千円てことはないですわなあ、きょうび。どうか希望的予想で「ア」でお願いしたい。

実際の修理はこれからだけど、お電話によれば、約5万円ですと。まあ、しょうがないか。新車を買わずにすんだわけだし。

ん? でも、ちゃんと修理できるんだろか。相手は雨もりぞ。微細な穴からでも通り道があればもれなく漏れ出すにちがいない。

いやん、「はてなの車」になるかもお?

下記は、ディーラーさんのところまで車をもっていくときの車内図。朝もまだ雨が降ってたからバケツもそのまま持って運んだら、水がチャッポンチャッポン。


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2017年9月12日火曜日

大腸検査と「手」

大腸検査は二度目。最初は約10年前。検査中も検査後も壮絶な痛みでありました。ことに、カメラが大腸の曲がり角に接触するたびにズキズキッ!とまあ、もんどり打ってなんともはや。

ところがその次(2016年)はじつに快調、快腸。そのわけは、看護師さんの「手」であります。

ま、たしかに挿入直後は、激痛ありありなんですが。


それを見て取った看護師さんが、
「ちょっとお腹をさわりますけど、いいですか」といって、手を添えると…


あ~らま、なんとした。違和感は残るものの、痛くないんである。
カメラが大腸の壁にぶつかりそうになると、看護師さんは、手で私のお腹の上からカメラを支えてくれるといいますか、誘導するといいますか。
手を添えることにより、カメラの重さで腸が伸ばされるのを防いでくれているらしい。
 
はは~ん、お腹の中をカメラが通るときのありようは、こんな感じなのかも。(下は想像図。)


つまり、痛みの解決策は、麻酔もいらない、機械もいらん、片手1本。これぞ「神の手」。
添える手加減に技があるのか。
それとも、だれの手でも添えれば楽になるのやら。せっかくだから自分でも試してみればよかったと後になって気がつく。あ~あ、もったいないことをしましたなあ。
ま、ともあれ、新発見ありありの大腸検査でありました。

なお、検査後から2時間ほどは腸壁がこすれたせいか、差し込むような下腹の痛みにおそわれ、待合室のソファーにもたれてヒーヒーせねばならんのは、今回も同じくでした。
今後は、こちらの症状もなにか明るい解決策がみつかるといいなあって思うんであります。
(記:2017.9.12) 


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2017年8月10日木曜日

魚のさばきかた

魚のあら汁を作るときなど、頭を包丁で割るのがむずかしいです。出刃包丁も持っていないし。

 そこで私は、キッチン鋏を使って切るのですが、そのときの切り方をこんなふうにしています。

魚の頭の真ん中をさけ、図のように少し横に鋏を入れるのです。そうすると、真ん中にあるごつくて固い骨を切らずにすむらしく、わりあい楽ちんなのでした。それでも、鋏で切るのには力がいるので、ちょっと切っては休み休みですけどね。

板前さんみたいにかっこよく、包丁でバンと一発あてて切る姿には憧れますが、技術と包丁がいりそうなので、もっぱら鋏チョキチョキ。横着してまーす♪(記:2012年12月27日)

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2017年7月31日月曜日

おかいこ様

これは2013年10月7日に書いたものです。
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 虫といえば、子供の頃、『科学』という子供向けの月刊雑誌に、繭玉というものが付録でついてきたことがあった。3、4㎝くらいの長さで、白いカプセル状のしろものである。
雑誌には、この繭玉を湯の中に入れ、お箸で生糸を取り出してみようと書いてあった。



 当時の私は、そもそも繭玉すら見たことがないのだから、もうわくわくして説明文を読み、さっそく鍋にお湯をわかした。そこに繭玉を入れ、はしでかき混ぜていると生糸の先端が箸にからまり、箸を回すと糸がするすると巻きついてくるというのだ。

 ところが、いつまで箸でころがしてもいっこうに糸の先端なんかあらわれない。だいたい「付録」などというもんはたいがいちゃんとしていなくて、ときとしてこんなことがあるんだよなあと、なかばやけくそになってガラガラかき混ぜていると、洗濯かなにかをしていた母が横からのぞき、

「どら、おらに貸してみらい」(どれ、私に貸してごらん)
といって箸をとりあげ、あっという間に糸口を見つけ糸を巻き始めたのだった。
「かあちゃん、すごい!!」。
すると母は、
「あだりみゃあだべー。おらいっそ片倉で糸取りばりやったんだもの。」(あったり前でしょ。あたしゃ、いつも片倉製糸工場で糸とりの仕事ばっかりやってたんだもの)とのたまう。

 母は娘時代、岩手県陸前高田市の片倉製糸工場の女工として働き、毎日湯気のたった大釜にいっぱいの繭玉から糸を取るのが仕事だったそうな。
なるほど、あちらはその道のプロだったわけだ。糸取りがうまいのは道理である。
そんな母にしてみれば、たった数個ばかりの繭が入ったお鍋から、プロの技で糸を水飴のように巻き付けていくなど朝飯前にちがいない。
糸を取り終えたあとには、糸の服を脱がされた丸裸のサナギが数匹残っているのみ。これぞ匠の技というべきか。

 ところがである。次の瞬間、恐ろしいことがおこった。
母は、糸がなくなったそのサナギをつまみ上げ、あろうことか、ぱくりと口に放り込み、むしゃむしゃ食べ始めたのだ

ぎょえーーーーーーっ、かあちゃんてば、発狂してしまったか?
口裂け女とかいう化け物がいるとしたら、まさにこれだ。口のはしに、カイコのしわしわした皮が押し込まれていくのが見える。母は化け物に変身してしまったのだ。もうただただ恐怖。
その化け物は、最後の一匹を飲み込んでこういった。

「なんとまだこのサナギは、ほすけでしまったふで、さっぱり油っこなぐなってしまってるが。サナギのうんみゃー味っこしにゃあ」。
(「なんとまあこのサナギときたら、ひからびてしまったようで、さっぱり油っけがなくなってしまっとるわ。サナギの美味しい味がしないよ」。)

つまり、付録のサナギが新鮮とれたてで届いていれば、母にも満足のいく味であったろうが、我が家に届く頃には干からびたミイラ味と化していたというわけである。
生き物を食べるということは、鮮度が命ということか。

 ときに、母が申すには、製糸工場の女工だった当時、カイコは貴重なタンパク質源で、毎日数粒づつ配給になったそうな。食べる物の乏しいその頃、配給や食事だけでは足りず、仕事中に隠れてこっそりカイコのつまみ食いをするのがとても楽しみであったという。
 てなわけで、カイコを見ると、あの恐怖の化け物かあさんの姿を思い出す。
もっとも、母は怒ると裸足で家の外まででも追いかけてくるから、山姥でもあるにちがいない。
三枚じゃ足りん、お札は何百枚も欲しいのう。くわばらくわばら。〈おしまい〉

【写真と図について】
写真の繭は、2013年の3月に近所の山でひろったものです。野生の繭というものでしょうか。

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